四半期開示は継続される模様
焦点は開示の効率化へ
今週、各会計誌で取り上げられていますが、四半期開示についてDWG(ディスクロージャーワーキング・グループ)にて議論が行われました。
四半期開示の必要性については、前アメリカ大統領であるトランプ政権時にも話題になったことがありましたが、日本においても岸田政権下で新資本主義の名の下、四半期開示の必要性について言及され、今回の議論が行われる運びとなりました。先日、日経新聞にも某会計士の方の記事でも四半期開示の要否について触れていたりと、四半期の開示の必要性に関する議論はたびたび話題にあがります。
今回のDWGでは、結果として四半期開示の必要性が改めて示された形となり、つまり廃止はほぼほぼ見送られ、むしろ決算短信と四半期報告書の重複が話題の中心となったようです。これはかねてから問題視されてきている、年度決算の金商法による有価証券報告書、会社法の計算書類・事業報告、そして決算短信、これらの書類間になる重複の見直しと同様の指摘と言えます。
短期志向の強化は本当か?
四半期報告を不要とする論拠に、短期志向が強化される、という指摘が第一にあがりますが、これについては必ずしもそうとは言えないようです。実際、四半期開示により短期志向が強化されている、という根拠はこれまでほとんど示されていないようですし、むしろ、ガバナンス強化や機関投資家の存在、会計基準の質などによって短期主義志向が強化されている証拠が積み上がっているようです。
会計に要するコスト
また四半期開示に要するコストも不要論の論拠にされることがありますが、四半期開示に留まらず各企業における会計全般に要するコストは膨大化し続けていますし、これからもその傾向は続くものと思われます。個人的な意見ですが、四半期の強制的な開示が不要となっても、その傾向に大きな違いが生まれるか否かについては疑問が残ります。
また、会計に関する業務の多くはAIによって代替されていくだろう、というのは一部についてはその通りでしょうが、一方で会計基準や税務が複雑化し、開示の範囲も拡大していく中で、AIによって代替される業務以上の負荷が間接部門には降り掛かってきている、あるいは、これからくるのではないでしょうか。
これに対するアンサーは当然企業によって異なりますが、効率化ばかりを追及するのではなく、戦略的に会計全般に取り組む姿勢をもって対応することが求められるでしょう。それこそ近視眼的な対応は中長期的な企業の発展を蝕むリスクさえあります。内部での採用や教育なくして昨今の会計への対応は難しく、いたずらに外注ばかりに頼れば際限なくコストが膨らむばかりか、対応不可な状況にさえ陥りかねないでしょう。
追記
四半期開示継続の流れから一転、四半期報告書廃止が決定的になりました。
※なお、文中の意見にわたる部分は筆者の私見であり、いずれの団体等の見解を代表するものではありません。