※2011年会計士試験受験時代に撮った写真
情報はできる限り共有しましょう。
あらゆる情報が共有される組織を目指すべき、その理由について考えました。
なぜ、情報を共有しないのか。
なぜ、情報が共有されないのでしょうか?
基本的に、特定の人だけが情報を抱え組織全体に情報が共有されない理由は以下の3つしかありません(技術的なことは除く)。
情報を抱えることで自分の価値を高めたいと考えている場合、か、他者には管理・理解しきれないという判断をしている場合(要するになめている場合)、あるいはその両方です。
であれば、組織として情報共有をルール化するしかありません。
ちなみに、今の時代、技術的に、体系的に情報共有ができない、ということはないはずです。
slackやchatwork、kintoneやGoogle drive等、安価で容易に情報共有できるツールはちょっと調べれば調べきれない程出てきます。
情報共有しないことの弊害
情報が共有されないと様々な弊害が生じますが、広い視点に立っていえば、特に顕著なのが方向性を共有できないことです。
方向性が見えない
情報共有が徹底されていないと情報を部分的にしか知ることができず、会社や組織の先行きを正確に見通すことができない、という問題が生じます。
情報が後出しになればなるほど、現場の実務は後手後手になっていきますが、果たしてそんな環境で業務の効率化が実現できるでしょうか?
「あの時、その情報を知っていれば」という思いをしたことは誰にも経験があると思いますが、にも拘わらず、今でも情報共有が徹底されている組織はまだ多くありません。
効率性は共有された情報の量に比例します。
であれば、情報はできる限り共有すべきです。
必要な情報が明確になっていればいるほど綿密な事前準備が可能になります。。
経理業務に関して言えば、それぞれの仕訳に特定の情報を盛り込んでおいたり、勘定科目を適切に設定しておくだけで劇的に改善される業務がいくらでもあります(例えば管理会計上の目的で特定の顧客の売上高を把握したい、特定の費用の金額を集計したい、等)。
あとになって「こんな情報が必要だった」となった時の絶望感たるや他に類を見ません。
そんなこと言うくらいなら、はじめからすべて織り込んで業務設計をしておけ、なんてことはくれぐれも考えてはいけません(後述しますが、無駄なことまでさせている余裕はないはずです)。
情報がしっかり共有されていればそんな問題は起こらなくなるか、と言ったらすべてがなくなるとは言いません。
しかし、1つでも2つでもそういった問題が解消されるのであれば情報は共有されるべきですし、実際に解消される問題は思っているより多いです。
誰かが解いた問を、他の誰かがまた解く、という無駄
また、個々の視点で見ると、情報が共有されないことによって反復という無駄が生じます。
1つの作業を行うのに最短の手法があるにも関わらず、それが共有されないと、再度その最短の手法を導き出すための時間を要します。
これは以前ホリエモンこと堀江貴文氏が、「寿司職人が何年も修行するのはバカ」という発言に通じるものがあります。
最短の方法があるなら、最短の方法を誰もが使うべきです。
蛇足ですが、「最短の方法を自分で考えることに意味があるから情報を渡さない」というのは、典型的な根性論です。
さっさと止めましょう。
それができるのは人も時間もお金も余裕がある組織だけです。
また、特に専門性の高い分野ではなおさら行うべきではありません。
そんなことに時間を使うなら、さらに効率化できることがないか、に頭を使うべきです。
限りある資源は貴重なものです。有効に使いましょう。
さて、ではなぜここまで情報共有の重要性を叫ぶのかと言えば、それが今の組織の生存戦略にとって非常に重要なポイントになるからです。
情報共有することの最大のメリット
情報共有することの最大のメリットは従業員の満足度を高めることにあります。
つべこべ言わず、言われた通りにやれ!というのがこれまでの日本の多くの企業で見られた光景かもしれませんが、もはやその時代は終焉を迎えているといわざるを得ません。
これだけ優秀な人材を確保することが難しい時代において、従業員の満足度を高めること、あるいは、不満を解消することは非常に重要です。
情報が共有されないことによる非効率は上述した通りですが、優秀な人材ほど無駄な業務や作業を嫌います。
限られた資源の中で、どれだけ付加価値のある仕事ができるか、あるいはそれを自ら(あるいは自らが属する組織)が達成できたのか。
そういった仕事に価値を見出していく時代になってきていますし、これからもその傾向は強まるばかりでしょう。
そんな中、情報が適切に共有されないという理由だけで無駄が生じ、付加価値を生み出せない環境では従業員のエンゲージメントは向上せず、優秀な人材を引き留めておくことが難しくなります。
いかに従業員一人一人が満足感をもって働くことのできる環境をつくるか、それが今、そしてこれからの組織運営において非常に重要なファクターであることは間違いありません。
そのためにも、トップが意思決定しないと何もことが進まないという組織ではなく、適切な階層で意思決定が行えるよう、情報共有が徹底されたフラットな組織が望まれます。
情報量に対する懸念と情報を処理するスキル
情報共有を徹底した時に、共有される情報が多くなりすぎてしまい、処理しきれなくなることに対する懸念があるかもしれません。
しかし、これは問題ないというのが結論です。
要は慣れの問題であって、誰でも捌ききれるようになります。
300件のメールすべてにしっかり目を通しているわけではない
一般的な組織では、組織のトップに近づくほど多くの重要な情報が集まります。
管理職階層の方が「1日にメールが200件,300件来て大変だ」なんて話聞いたことありませんか?
働き始めたばかりの頃の私は「マジか・・・!」と思ったものですが、今ならわかることがあります。
1日に何百件も来るメールを1から10まですべてにしっかり目を通しているわけではありません。
あくまで膨大な文字の中から取捨選択して自分に必要なものだけに目を通しているに過ぎません。
新聞を読むとき1面から最後まで一字一句逃さずに読む人はいませんよね、それと同じです。
上述しましたが、これは慣れの問題で誰でも身に着けることができます。
であれば早いうちから対応できるようになっておくに越したことはありません。
また、最近の情報共有のためのツールには便利な機能が色々とあるので、情報自体に優先順位をつけることも可能です。
必要な情報だけを取り出すことはますます容易になっています。
情報共有するときの注意点
情報を共有する場所
共有する情報は特定の場所に集めるようにしましょう。
この情報はこっちで、あの情報はあっち、等と分けていると管理しきれなくなります。
多くても2つか3つ程度の場所に収めるべきです(もちろん、それぞれルールを定めて)。
情報の非属人化と言語化
情報が属人化されるのを防ぐため、言語化し、共有しましょう。
日本においても人材の流動化が高まってきていますが、高いレベルで人材流動化された社会では情報が属人化されることは命取りになりかねません。
これまでの日本の企業の多くは終身雇用制のもと、多くの従業員が1つの会社に長期間所属していることが当たり前でした。
そういった会社では「あの人なら何でも知っている」や、「〇〇のことはあの人に聞け」なんていうことが至る所にありました。
これこそまさに情報が属人化された典型例でしょう。
情報が属人化されることのすべてが悪いとは言いませんが、毎年、あるいは毎四半期、あるいは毎月、新しい人が入って辞めていく組織において、情報が属人化されたままではいつまでたっても組織として知識が集積しないリスクがあります。
であれば、情報を言語化(あるいは視覚化)して残しておくしかありません。
今後は情報を言語化するスキル、そして言語化された情報を読み取るスキルの重要性がますます強化されていくことでしょう。
ベストセラーになった「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」では、子供たちの文章を読む力が衰えていることが述べられていますが、この情報化社会においては皮肉な現実です。
AIの発達した社会ではAIでは代替できない能力を持った人間だけが活躍できる、とあり、教科書が読めない子どもたちがそういった社会の中でやっていけるのか心配である、という著者の思いの中に、情報を適切に読み取り理解することの重要性を読み取ることができます。
情報を適切に理解することができない人に、情報を適切に言語化するのが難しいのは言うまでもないでしょう。
しかし、情報共有が徹底され日常的に多くの情報を読み取り、あるいは、情報を言語化していく経験をすれば誰でもスキルは磨かれていくはずです(上著でもその可能性について述べられています)。
組織全体として取り組むことが望ましいのは上述した通りですが、個人レベルでも取り組むべき理由がまさにここにあります。
どこにいっても通用するスキルとはまさにこういった普遍的なスキルのことと言って間違いありません。
最後に
情報共有にITは不可欠です。
テクノロジーの進化に取り残されないよう、色々なツールを試してみることから始めるのも良いでしょう。
何歳になっても学ぶ姿勢を大事にしたいものです。
随分と長文になってしまいましたが、どこかの誰かのお役に立てれば幸いです。
※なお、文中の意見にわたる部分は筆者の私見であり、いずれの団体等の見解を代表するものではありません。